ママ記者瀬川の野球少年+熱血監督追っかけ日誌
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今日は2回泣きました。。。。涙もろい方なので、テレビを見て、試合を見て、人の話を聞いて、、、、泣くことはかなりの頻度でありますがっっ 今日は一日に二度も泣きました。。。
最初は、都立小山台高校の取材で、福嶋正信監督の話を聞いているとき。。。
あの、港区のエレベーター事故で亡くなった市川大輔くん(当時16歳)のこと、覚えてますか。市川くんが通っていたのが、この都立小山台高校、所属していたのが、ここの野球班(小山台高校では「部」と言わず「班」といいます)でした。
あの痛ましい事故が起きたのは2006年6月3日、来月3日で3年になります。あの事故の報道を最初に聞いたとき、都内の野球部の子」と聞いたので、どこの高校だろう? 私の知ってる子だろうか? ってまず心配になり、知らない子でしたが、「高校球児」ということで、他の痛ましい事故以上に、私の胸に突き刺さったのを覚えています。
連日、テレビや新聞でその事故のニュースが流れ、「なんでそんな事故で未来ある青年の命が奪われなきゃいけないのよ! どうなってんるのよ! シンドラー社の対応も、メンテナンス会社の対応もなんなのよ! お互い、罪をなすりつけ合ってなんなのよ!」と、テレビに向かって憤っていたことを覚えています。あの事故からもう3年がたつのか。。。
でも、時がたつにつれ、こういう事故は風化していってしまうものです。あのときは、連日のように報道していたのに、その後、どうなったかという報道はなされていません。どうなったんだろう。。。。と思って福嶋先生に聞いてみると、、、、
何の進展もないそうです。ようやくこの3月に第1回目の裁判が開かれただけで、そこでも何の進展もなし。誰からも、どこからも、何の謝罪もないそうです。悲しすぎる、悔しすぎる。。。市川くん本人、ご両親、福嶋先生ほか学校の先生方、野球部の仲間、同級生、みんな悔しがっています。何とかしようと署名をお願いして回ったら、全国から16万も集まったそうです。でも、まだその16万がどのぐらいの力になるかはわかりません。
当時、市川選手は高校2年生でしたから、市川選手と一緒に練習していた1年後輩の選手たちもこの春、小山台高校を卒業し、あの事故を目の当たりにした選手はもうはいません。
でも、現3年生は、市川くんと同級生だった2つ上の先輩(現大学2年生)、市川くんの1年後輩だった1つ上の先輩(現大学1年生)から、事故の話し、市川大輔くんとはどんな人だったかという話し、また、あんなにまっすぐだった市川くんの人生が突然潰え、どんなに悔しかったか、という話し、様々なことを伝え聞き、それをまた後輩へと伝えています。
そして、「絶対にあの事故を忘れてはいけない」「市川先輩ができなかったことをやろう」「天国で見ててくれてる市川先輩をを甲子園に連れていくんだ」「市川先輩の分まで真剣に生きるんだ」 そういう思いで、懸命に野球に取り組んでいるな、また、懸命に生きているなと感じました。
そんな選手たちが書いた日々の交換日誌、個人の日誌を読ませていただき、また、事故当時も今も監督を務める福嶋正信先生の話を聞かせていただいたり、当時のチーム日誌などを見せていただくうち、涙がどわ~~っと出てきてしまいました。。。。
小山台高校は、この春の東京大会で快進撃をみせました。修徳、桜美林、都立足立新田、八王子と強敵を次々やっつけてベスト4。準決勝で帝京にはコールドで負けましたが、大健闘です。でも、目標はそんなもんじゃない、本気の本気で甲子園です!! 実際、本当に強いですから!!
それまでは1,2回戦をウロウロのチームでしたが、あの事故以降、チームが変わり、快進撃が続いています。それも、勝ち上がって「都立小山台高校」の名前が多くの人の目に止まって、そして、あの事故のことも思い出してもらって、市川大輔という選手が、こんないい野球部で頑張っていたんだということを思い出してもらうためです。そのために、いろんな工夫や努力をして頑張ってるんだなぁと胸が熱くなりました。
おっとっっ あんまりここで書いちゃうと、某雑誌で書くのにマズイな(^^;;) ということもあって、このへんで止めておきますが、胸が熱く、そして、胸がとても痛くもなった数時間でした。
帰りの電車の中では、市川くんの亡くなる前に書いた野球日誌をコピーしていただいたものを読みました。武蔵小山駅から目黒駅、そこから山手線で新宿まで、、、将来の夢…中学校の先生って書いてありました。もう、涙ボロボロでした。
小山台高校の様々な取り組みについては、某雑誌で紹介します。また発売になるときはお知らせします。2ページしかないっっ 書ききれるかなっ(≧ε≦) 書ききれなかったら、またここで紹介します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
家に帰ってご飯食べて、、、、普通にこうやって笑って過ごせることに感謝。子供が、今日も元気に学校行って帰ってきてくれるという、ごく当たり前のことが、とても素晴らしいことに思えました。
ということで、今日も、小僧と女神ちゃまと3人でお風呂入りましたが、その中で、市川くんの話しをちょっとだけしました。そういう人がいるんだよ、自分たちは本当に幸せなんだよと、だから、毎日の当たり前のことに感謝しよう、一日一日を大事に生きようねって。
分かっているか分かっていないか分からないけど、それでもいいや、と思って話ししました。そしたら、女神ちゃまは湯船に浸かりながら泣いていました。彼女は、本当に感受性が豊かというか、これから書こうと思っている、清原和博男道SPを見ても泣いてましたから(^_^; ママと一緒にっっ
おっと、時間なので、とりあえず、ここまでアップ!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
続いて、清原和博の男道SP!
清原さんが幻冬舎から出した「男道 清原和博」っていうタイトルの本は、発売日だったかその次の日には買って、その後2~3日で読んでしまっていたので、だいたい内容は分かるのですが、やっぱり、テレビで再現VTRにして、所々本人の話しなど交えてやってくれるとまたまたぐっときますね~・"(≧д≦)"・。
小僧&女神ちゃまも一緒に見ていたのですが、小僧は小学3年生で遠投70メートルのところに、「どんだけ~☆(゜▽゜)☆」と叫んでましたっっ
中学3年生、岸和田シニアを引退した後、PL学園に入るまでの半年ぐらいの間、お母さんが自転車に乗って、和博少年とともに毎日20キロ走っていた、というのの再現VTRを見て、小僧が「オレとママみたい(^_^;」って。確かにっっ 「あ、でも、オレは20キロも走ってないっ 何キロぐらい? 5キロぐらいは走ってる??」
という感じで、何かと清原少年に対抗意識を燃やす小僧でしたっっ(^^;;) アンタと清原少年では体格もパワーも違うわいっっ と思いながらも、「いっぱい食べればデカクなる!!」とハッパハッパ~ (*´艸`)
和博少年が中学3年の終わりに、PL学園の寮へと巣立つシーンを見て、ママ、ちょっとウルウルしていると、透かさず女神ちゃま、「なんで泣いてるの~?」 「だって、○○(小僧)も寮に入っちゃっていなくなっちゃったらママ寂しいもーん(≧ε≦) 」と答えたら、女神ちゃまが、「こうこういったら○○(小僧)いなくなっちゃうの???」「寮がある高校に入ったらお家にはいなくなるんだよ」に、「えーやだ~!!(≧ε≦o) あえなくなったらいろんなことおしえてもらえなくなっちゃうっっ りょーじゃないところにして!!」と小僧にお願いしてました(^_^;
その後、高校時代、甲子園でいっぱいホームランを打ったということで、そのシーンがたくさん流れていましたが、小僧は「あんなのずるい!!」と。ラッキーゾーンに入ったホームランのことですっっ(^_^; 確かに、昔はラッキーゾーンがありましたから、よくホームラン、数が出ましたよねっっ
最初は、都立小山台高校の取材で、福嶋正信監督の話を聞いているとき。。。
あの、港区のエレベーター事故で亡くなった市川大輔くん(当時16歳)のこと、覚えてますか。市川くんが通っていたのが、この都立小山台高校、所属していたのが、ここの野球班(小山台高校では「部」と言わず「班」といいます)でした。
あの痛ましい事故が起きたのは2006年6月3日、来月3日で3年になります。あの事故の報道を最初に聞いたとき、都内の野球部の子」と聞いたので、どこの高校だろう? 私の知ってる子だろうか? ってまず心配になり、知らない子でしたが、「高校球児」ということで、他の痛ましい事故以上に、私の胸に突き刺さったのを覚えています。
連日、テレビや新聞でその事故のニュースが流れ、「なんでそんな事故で未来ある青年の命が奪われなきゃいけないのよ! どうなってんるのよ! シンドラー社の対応も、メンテナンス会社の対応もなんなのよ! お互い、罪をなすりつけ合ってなんなのよ!」と、テレビに向かって憤っていたことを覚えています。あの事故からもう3年がたつのか。。。
でも、時がたつにつれ、こういう事故は風化していってしまうものです。あのときは、連日のように報道していたのに、その後、どうなったかという報道はなされていません。どうなったんだろう。。。。と思って福嶋先生に聞いてみると、、、、
何の進展もないそうです。ようやくこの3月に第1回目の裁判が開かれただけで、そこでも何の進展もなし。誰からも、どこからも、何の謝罪もないそうです。悲しすぎる、悔しすぎる。。。市川くん本人、ご両親、福嶋先生ほか学校の先生方、野球部の仲間、同級生、みんな悔しがっています。何とかしようと署名をお願いして回ったら、全国から16万も集まったそうです。でも、まだその16万がどのぐらいの力になるかはわかりません。
当時、市川選手は高校2年生でしたから、市川選手と一緒に練習していた1年後輩の選手たちもこの春、小山台高校を卒業し、あの事故を目の当たりにした選手はもうはいません。
でも、現3年生は、市川くんと同級生だった2つ上の先輩(現大学2年生)、市川くんの1年後輩だった1つ上の先輩(現大学1年生)から、事故の話し、市川大輔くんとはどんな人だったかという話し、また、あんなにまっすぐだった市川くんの人生が突然潰え、どんなに悔しかったか、という話し、様々なことを伝え聞き、それをまた後輩へと伝えています。
そして、「絶対にあの事故を忘れてはいけない」「市川先輩ができなかったことをやろう」「天国で見ててくれてる市川先輩をを甲子園に連れていくんだ」「市川先輩の分まで真剣に生きるんだ」 そういう思いで、懸命に野球に取り組んでいるな、また、懸命に生きているなと感じました。
そんな選手たちが書いた日々の交換日誌、個人の日誌を読ませていただき、また、事故当時も今も監督を務める福嶋正信先生の話を聞かせていただいたり、当時のチーム日誌などを見せていただくうち、涙がどわ~~っと出てきてしまいました。。。。
小山台高校は、この春の東京大会で快進撃をみせました。修徳、桜美林、都立足立新田、八王子と強敵を次々やっつけてベスト4。準決勝で帝京にはコールドで負けましたが、大健闘です。でも、目標はそんなもんじゃない、本気の本気で甲子園です!! 実際、本当に強いですから!!
それまでは1,2回戦をウロウロのチームでしたが、あの事故以降、チームが変わり、快進撃が続いています。それも、勝ち上がって「都立小山台高校」の名前が多くの人の目に止まって、そして、あの事故のことも思い出してもらって、市川大輔という選手が、こんないい野球部で頑張っていたんだということを思い出してもらうためです。そのために、いろんな工夫や努力をして頑張ってるんだなぁと胸が熱くなりました。
おっとっっ あんまりここで書いちゃうと、某雑誌で書くのにマズイな(^^;;) ということもあって、このへんで止めておきますが、胸が熱く、そして、胸がとても痛くもなった数時間でした。
帰りの電車の中では、市川くんの亡くなる前に書いた野球日誌をコピーしていただいたものを読みました。武蔵小山駅から目黒駅、そこから山手線で新宿まで、、、将来の夢…中学校の先生って書いてありました。もう、涙ボロボロでした。
小山台高校の様々な取り組みについては、某雑誌で紹介します。また発売になるときはお知らせします。2ページしかないっっ 書ききれるかなっ(≧ε≦) 書ききれなかったら、またここで紹介します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
家に帰ってご飯食べて、、、、普通にこうやって笑って過ごせることに感謝。子供が、今日も元気に学校行って帰ってきてくれるという、ごく当たり前のことが、とても素晴らしいことに思えました。
ということで、今日も、小僧と女神ちゃまと3人でお風呂入りましたが、その中で、市川くんの話しをちょっとだけしました。そういう人がいるんだよ、自分たちは本当に幸せなんだよと、だから、毎日の当たり前のことに感謝しよう、一日一日を大事に生きようねって。
分かっているか分かっていないか分からないけど、それでもいいや、と思って話ししました。そしたら、女神ちゃまは湯船に浸かりながら泣いていました。彼女は、本当に感受性が豊かというか、これから書こうと思っている、清原和博男道SPを見ても泣いてましたから(^_^; ママと一緒にっっ
おっと、時間なので、とりあえず、ここまでアップ!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
続いて、清原和博の男道SP!
清原さんが幻冬舎から出した「男道 清原和博」っていうタイトルの本は、発売日だったかその次の日には買って、その後2~3日で読んでしまっていたので、だいたい内容は分かるのですが、やっぱり、テレビで再現VTRにして、所々本人の話しなど交えてやってくれるとまたまたぐっときますね~・"(≧д≦)"・。
小僧&女神ちゃまも一緒に見ていたのですが、小僧は小学3年生で遠投70メートルのところに、「どんだけ~☆(゜▽゜)☆」と叫んでましたっっ
中学3年生、岸和田シニアを引退した後、PL学園に入るまでの半年ぐらいの間、お母さんが自転車に乗って、和博少年とともに毎日20キロ走っていた、というのの再現VTRを見て、小僧が「オレとママみたい(^_^;」って。確かにっっ 「あ、でも、オレは20キロも走ってないっ 何キロぐらい? 5キロぐらいは走ってる??」
という感じで、何かと清原少年に対抗意識を燃やす小僧でしたっっ(^^;;) アンタと清原少年では体格もパワーも違うわいっっ と思いながらも、「いっぱい食べればデカクなる!!」とハッパハッパ~ (*´艸`)
和博少年が中学3年の終わりに、PL学園の寮へと巣立つシーンを見て、ママ、ちょっとウルウルしていると、透かさず女神ちゃま、「なんで泣いてるの~?」 「だって、○○(小僧)も寮に入っちゃっていなくなっちゃったらママ寂しいもーん(≧ε≦) 」と答えたら、女神ちゃまが、「こうこういったら○○(小僧)いなくなっちゃうの???」「寮がある高校に入ったらお家にはいなくなるんだよ」に、「えーやだ~!!(≧ε≦o) あえなくなったらいろんなことおしえてもらえなくなっちゃうっっ りょーじゃないところにして!!」と小僧にお願いしてました(^_^;
その後、高校時代、甲子園でいっぱいホームランを打ったということで、そのシーンがたくさん流れていましたが、小僧は「あんなのずるい!!」と。ラッキーゾーンに入ったホームランのことですっっ(^_^; 確かに、昔はラッキーゾーンがありましたから、よくホームラン、数が出ましたよねっっ
その後の、ドラフトのシーン、プロに入ってからのこと、FA移籍のこと、巨人解雇のこと、ケガ、そしてリハビリのこと、仰木監督とのこと、引退のこと、、、見ていて、涙ボロボロっっっ(o≧ω≦)o 今まで見てきたことですが、また見て泣いちゃいましたっっ さっき、書いたとおり、女神ちゃまも泣いていて(^^;;)
小僧は。。。。食い入るように真剣に見てましたっっ プロっていろんなことがあるんだね。いいことばかりじゃないんだね。。。そんなことをブツブツつぶやきながら。そうだよ、プロ野球選手になることも大変だけど、なってからだって大変なんだよ。その世界で戦い続けていくことって本当に大変なんだよ。。。そんな話しをしながら、ママは涙でグシャグシャ(^。^;) 小僧にかなり笑われましたっっ
そんな感じで、夕方と夜、二度泣いた日でした。。。。明日は泣くようなことはきっとないな(^。^;) 笑うことはあってもっっっ 笑って過ごせることに感謝感謝!
さて、明日も日中取材! 夜はパパチームの選手クンお泊まり!! ってことで、これからカレーの仕込みしますですっっ σ(゜∀゜*)
小僧は。。。。食い入るように真剣に見てましたっっ プロっていろんなことがあるんだね。いいことばかりじゃないんだね。。。そんなことをブツブツつぶやきながら。そうだよ、プロ野球選手になることも大変だけど、なってからだって大変なんだよ。その世界で戦い続けていくことって本当に大変なんだよ。。。そんな話しをしながら、ママは涙でグシャグシャ(^。^;) 小僧にかなり笑われましたっっ
そんな感じで、夕方と夜、二度泣いた日でした。。。。明日は泣くようなことはきっとないな(^。^;) 笑うことはあってもっっっ 笑って過ごせることに感謝感謝!
さて、明日も日中取材! 夜はパパチームの選手クンお泊まり!! ってことで、これからカレーの仕込みしますですっっ σ(゜∀゜*)
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無題
そうでしたか・・・志半ばで逝ってしまった市川君の分まで、小山台高校には極限まで頑張って欲しいです。
清原さんの番組は見られませんでしたが、現役時代の辛かった思いとか今は多少軽くなったのでしょうか?足は大丈夫なのかな? そして仰木監督にはもう少し長生きして欲しかったです。
清原さんの番組は見られませんでしたが、現役時代の辛かった思いとか今は多少軽くなったのでしょうか?足は大丈夫なのかな? そして仰木監督にはもう少し長生きして欲しかったです。
無題
私も今年で6年になりますが、大事な人を失い、でも子供を育てなければならないので朝も子供より早く出勤し、授業参観とかもろくに行けませんでしたが、2人とも事故もなく、健康な体にも恵まれ、いじめもなく、友達も多く、毎日普通に元気に帰ってきてくれる当たり前の事には日々感謝しています。
そんな子供達ももうシニア野球小僧最後の年です。母ちゃん一人ですが、恥ずかしくない人間に育っていることに日々感謝して・・・大事な人も見守ってくれてると思っています。
事件の事は風化してほしくないですね。
あと、硬球が当たってしまった彼のこと・・・。
決して他人事ではありません。
そんな子供達ももうシニア野球小僧最後の年です。母ちゃん一人ですが、恥ずかしくない人間に育っていることに日々感謝して・・・大事な人も見守ってくれてると思っています。
事件の事は風化してほしくないですね。
あと、硬球が当たってしまった彼のこと・・・。
決して他人事ではありません。