ママ記者瀬川の野球少年+熱血監督追っかけ日誌
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
昨日のブログも中途ハンパだしっ 今日の日中の話もおいておいて……夜のことを先に書きます。
先日30日にお世話になった方が亡くなって悲しい…と書きましたが、その方が亡くなった翌日の31日に、またとってもお世話になった方が亡くなりました。シニアの関東連盟西東京支部のもと審判長の大橋健さん。享年74歳。関東連盟の理事もされていて、ほんとにほんとに長年、リトルシニアのために尽力されてきた方です。
私はリトルシニアの野球を見るようになって20年ちょっとになりますが、その当初から大橋さんにはお世話になりっぱなしでした。大橋さんが武蔵府中シニアの審判さんで、私も府中に住んでいた、ということもありますし、私がシニアの記事を報じる東京中日スポーツの記者で、大橋さんが西東京の試合結果をまとめて送ってくださる役をされていた、ということもあります。
当時は、今のようにネットや携帯などが普及していませんでしたから、試合結果などを吸い上げるのはとても大変で、それをいつもちゃんとまとめてFAXで送ってくれるのが大橋さん。他にも、何か困ったことがあると、大橋さん! これをどうすればいいのかわからないってなると、大橋さん! それを嫌がることもなく面倒臭がることもなく、いつも優しく対応してくださいました。
審判長になられてからも、細々としたきっちり仕事もこなしていたし、「オレは審判長だ!」というような偉ぶるところは一切なく、いつも物腰柔らかく、新人の審判さんにも丁寧に教え、めったに人にきつく物をいうこともないし、何か言ったとしても必ずフォロー入れるし、会社でいえば、理想の上司みたいな人でした。
数年前から病気を煩い入退院を繰り返すようになり、グランドにもほとんど来ることができなくなりました。その後、退院してリハビリをするまでいったそうですが、他の病気も併発するなどして昨年末から容体が悪化し、そして逝ってしまったそうです。最期の話しは、お通夜の後、長男のヒサオくんから聞きました。
ヒサオくんはうちのダンナとシニア時代チームメイト。そんなこともあって、大橋さんだけではなく、奥さん、ヒサオくん、ヒサオくんの奥さんを…大橋ファミリーとの付き合いは長いのです。
帰る前にもう一度、大橋さんの遺影をみていたら、焼香のときは気付かなかったのですが、入口のところにフォトアルバムがあることに気付きました。元気だったころの大橋さんの写真が次々と映し出されて…… そうそう、こんなだった! と思うのと同時に、ん? この写真、、、、この写真も見覚えがある! あ、私がとった写真だ! あ、これも!!
大橋さん、よく「写真とってくれよ!」って言うので、いろんなところで写真を撮ったのでした! それをプリントして差し上げたものをこうしてフォトアルバムにしてくれていたようです。この笑顔、私のカメラの方に向いてしてくれてたんだなぁ。。。
その後、親族の方が「お顔をみてあげてください」と言ってくださったので、棺の中の大橋さんのお顔を見せていただきました。グランドにいたときの面影が。。。髪が真っ白になられて。。。「またグランドに行きたい」って行ってた大橋さん、戻ってこれずに残念だっただろうな。いろいろ思い出して涙が出てきちゃって止まらなくなりました。
野球の試合に審判がいるのが当たり前、正しいジャッジをして当たり前。間違えるとボロクソに言われちゃうのが審判さん。でも、審判さんだって間違おうと思って間違っているわけじゃない。確かに子どもたちが真剣に野球をやっているのだから、審判さんも日々レベルアップしてほしいと思う。お金もらってやっているわけじゃなくみんなボランティア。でも、ボランティアだからって間違っていいってわけじゃない。それはわかってる。でも、やっぱり何かあると審判はやり球にあげられる。難しいよな。。。
そんな話……職業ではないアマチュア野球、少年野球の審判について、大橋さんといろいろ語り合ったな。愚痴も聞いたな。こうしていきたいっていう目標も聞いたな。大橋さんがグランドにこれなくなってから、何か、発展したかな。。。
でも、大橋さんのように、一生懸命やってくださる方がいるから、それをまた支えてくれる家族の方がいるからこそ、少年たちは野球の試合ができる、大会ができる! このことは、指導者の方々、野球少年、保護者の方々にも知っておいていただきたいなと思います。
先日30日にお世話になった方が亡くなって悲しい…と書きましたが、その方が亡くなった翌日の31日に、またとってもお世話になった方が亡くなりました。シニアの関東連盟西東京支部のもと審判長の大橋健さん。享年74歳。関東連盟の理事もされていて、ほんとにほんとに長年、リトルシニアのために尽力されてきた方です。
私はリトルシニアの野球を見るようになって20年ちょっとになりますが、その当初から大橋さんにはお世話になりっぱなしでした。大橋さんが武蔵府中シニアの審判さんで、私も府中に住んでいた、ということもありますし、私がシニアの記事を報じる東京中日スポーツの記者で、大橋さんが西東京の試合結果をまとめて送ってくださる役をされていた、ということもあります。
当時は、今のようにネットや携帯などが普及していませんでしたから、試合結果などを吸い上げるのはとても大変で、それをいつもちゃんとまとめてFAXで送ってくれるのが大橋さん。他にも、何か困ったことがあると、大橋さん! これをどうすればいいのかわからないってなると、大橋さん! それを嫌がることもなく面倒臭がることもなく、いつも優しく対応してくださいました。
審判長になられてからも、細々としたきっちり仕事もこなしていたし、「オレは審判長だ!」というような偉ぶるところは一切なく、いつも物腰柔らかく、新人の審判さんにも丁寧に教え、めったに人にきつく物をいうこともないし、何か言ったとしても必ずフォロー入れるし、会社でいえば、理想の上司みたいな人でした。
数年前から病気を煩い入退院を繰り返すようになり、グランドにもほとんど来ることができなくなりました。その後、退院してリハビリをするまでいったそうですが、他の病気も併発するなどして昨年末から容体が悪化し、そして逝ってしまったそうです。最期の話しは、お通夜の後、長男のヒサオくんから聞きました。
ヒサオくんはうちのダンナとシニア時代チームメイト。そんなこともあって、大橋さんだけではなく、奥さん、ヒサオくん、ヒサオくんの奥さんを…大橋ファミリーとの付き合いは長いのです。
帰る前にもう一度、大橋さんの遺影をみていたら、焼香のときは気付かなかったのですが、入口のところにフォトアルバムがあることに気付きました。元気だったころの大橋さんの写真が次々と映し出されて…… そうそう、こんなだった! と思うのと同時に、ん? この写真、、、、この写真も見覚えがある! あ、私がとった写真だ! あ、これも!!
大橋さん、よく「写真とってくれよ!」って言うので、いろんなところで写真を撮ったのでした! それをプリントして差し上げたものをこうしてフォトアルバムにしてくれていたようです。この笑顔、私のカメラの方に向いてしてくれてたんだなぁ。。。
その後、親族の方が「お顔をみてあげてください」と言ってくださったので、棺の中の大橋さんのお顔を見せていただきました。グランドにいたときの面影が。。。髪が真っ白になられて。。。「またグランドに行きたい」って行ってた大橋さん、戻ってこれずに残念だっただろうな。いろいろ思い出して涙が出てきちゃって止まらなくなりました。
野球の試合に審判がいるのが当たり前、正しいジャッジをして当たり前。間違えるとボロクソに言われちゃうのが審判さん。でも、審判さんだって間違おうと思って間違っているわけじゃない。確かに子どもたちが真剣に野球をやっているのだから、審判さんも日々レベルアップしてほしいと思う。お金もらってやっているわけじゃなくみんなボランティア。でも、ボランティアだからって間違っていいってわけじゃない。それはわかってる。でも、やっぱり何かあると審判はやり球にあげられる。難しいよな。。。
そんな話……職業ではないアマチュア野球、少年野球の審判について、大橋さんといろいろ語り合ったな。愚痴も聞いたな。こうしていきたいっていう目標も聞いたな。大橋さんがグランドにこれなくなってから、何か、発展したかな。。。
でも、大橋さんのように、一生懸命やってくださる方がいるから、それをまた支えてくれる家族の方がいるからこそ、少年たちは野球の試合ができる、大会ができる! このことは、指導者の方々、野球少年、保護者の方々にも知っておいていただきたいなと思います。
PR
この記事にコメントする